約 1,923,096 件
https://w.atwiki.jp/yamamura2/pages/7615.html
【TOP】【←prev】【MEGA DRIVE】【next→】 JLEAGUE CHAMPION SOCCER タイトル JLEAGUE CHAMPION SOCCER Jリーグチャンピオンサッカー 機種 メガドライブ 型番 T-105013 ジャンル スポーツ(サッカー) 発売元 小学館プロダクション 発売日 1993-2-26 価格 6800円(税別) 駿河屋で購入 メガドライブ
https://w.atwiki.jp/yamamura2/pages/8220.html
【TOP】【←prev】【Dreamcast】【next→】 J.LEAGUE SPECTACLE SOCCER タイトル J.LEAGUE SPECTACLE SOCCER Jリーグ スペクタクルサッカー 機種 ドリームキャスト 型番 HDR-0154 ジャンル スポーツ(サッカー) 発売元 セガ 発売日 2002-02-07 価格 5800円(税別) 駿河屋で購入 ドリームキャスト
https://w.atwiki.jp/hengokurowa/pages/96.html
赤より紅い月が照らす平安京の空を浮かぶのは…なんとUFO! 「794(なくよ)ウグイス平安京……っと」 ではなく、妖怪。 「まさか、またここに降り立つ日がくるとは、思わなかったわ」 その妖怪は、猿の顔、狸の胴体、虎の手足を持ち、尾は蛇の外見をしている…かもしれない。 はたまた、胴体は狸ではなく、虎!…かもしれない。 それとも、頭が猫で胴は鶏だった!!…かもしれない。 なぜ、…かもしれないかというと、それは、正体不明だからだ。 「紅い月に平安京…こりゃ、アイツら(陰陽師)が関わっているわね。おそらく」 ただ、一つ確かなのは、鳴き声はトラツグミのような大変に気味が悪い鳴き声だそうだ。 「平安京といったら、この私(ぬえ)だものねぇ。味なことをしてくれるじゃない」 ぬえはそう呟くとクククと笑う。 平安京の民を恐怖を植え付けた妖怪。 妖怪の名は鵺ーーーーー幻想郷では、封獣ぬえという名で活動している。 「博麗大結界で覆われた幻想郷にいる私を蠱毒のような催しに参加させる陰陽師といえば…安倍晴明もしくは、蘆屋道満が裏にいるはず……」 ぬえは、殺し合いの舞台が「平安京」であること。平安京と言えば、月と密接に関わる占術…「陰陽道」の観点からこの紅き月の下の殺し合いの裏には陰陽師がいると推測する。 「…ふん!……悪いけど、「人間」の思惑には乗るつもりはないわ。むしろ……」 そういうと、ぬえは正体不明の種を自身に纏わせる。 「この殺し合いを利用してこの平安京を判らないことだらけに染めてやるわ」 「この正体不明の妖怪(ぬえ)が!」 妖怪らしく行動を起こそうとぬえは紅き空を飛翔する。 【封獣ぬえ@東方project 】 [状態]:健康 [装備]:正体不明の種 [道具]:基本支給品、ランダム支給品0〜2 [思考・状況] 基本方針:判らないものだらけに染め上げて主催者たちの鼻を明かす 1:殺し合いには乗らないが、妖怪として行動する 2:おそらく、陰陽師が関わっているわね…それも晴明か道満…… [備考] ※参戦時期は鈴奈庵26話後 ☆彡 ☆彡 ☆彡 一方、妖怪ぬえが行動指針を定めたときの地上ではーーーー ゴゴゴゴゴ!体からオーラが出している少女がいた。 「ああっ!?」 その少女は怒りに燃えていたーーーーー 少女の名前は恩田希。 埼玉県蕨市の蕨青南高校の女子サッカー部に所属している。 ポジションはミッドフィルダー。背番号は8。 「殺し合いって何!?私、次の試合を控えているんだけど!?」 選手権埼玉予選、予選リーグ第2戦を新生ワラビーズ初勝利で終え帰宅していたはずが、気が付けば殺し合いの平安京へ誘われていた。 「ん?」 ふと、空を見上げると…… 「あれは…サッカーボール!?」 無論、サッカーボールなわけがなく、ゆえである。 しかし、恩田は空に浮かぶぬえをサッカーボールと認識しているのだ。 「とりあえずーーーーーフットボールがしたい!」 恩田は走る。フットボールをするために。 【恩田希@さよなら私のクラマー 】 [状態]:健康 [装備]:なし [道具]:基本支給品、ランダム支給品0〜3 [思考・状況] 基本方針:早く帰って、皆とフットボールしたい 1:空飛ぶサッカーボールを追いかける 2:殺し合いよりフットボールがしたい [備考] ※参戦時期は51話後
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/36506.html
登録日:2017/03/24 Fri 01 41 46 更新日:2024/09/15 Sun 22 55 47NEW! 所要時間:約 21 分で読めます ▽タグ一覧 PK戦 W杯優勝国 イギリス イングランド サッカー サッカーW杯 サッカーチーム サッカー代表チーム スリーライオンズ チーム ツッコミどころ満載 ネタ ネタチーム プレミアリーグ 代表 強豪 母国 珍グランド サッカーイングランド代表は、イギリスのイングランド地方を統括するサッカー組織「フットボール・アソシエーション」が組織するサッカーのナショナルチームである。 愛称は「スリーライオンズ」、本拠地はロンドン郊外に建つ「サッカーの聖地」ことウェンブリー・スタジアム。 概要 近代フットボール発祥の地であるイングランドの代表チームだけあってその歴史は古く、1870年からスコットランド代表と非公式ながら初の国際試合を含め5試合ほど戦った。1872年11月30日、同じくスコットランドを相手に世界初の公式国際試合が実施された。 後述するような数多くの名選手を輩出し、世界的にも強豪国の1つとして認識されている…はずなのだが、大舞台での戦績は今一歩である。 W杯およびEUROでのベスト4以上は1966W杯優勝(母国開催)、1968年EURO3位、1990年・2018年W杯4位、2021年EURO準優勝のみで、W杯の優勝経験がありながら大陸別選手権(*1)の優勝経験がない唯一の国である。 近年特に指摘されているのがPK戦での弱さで、詳しくは後述するがW杯とEUROの決勝トーナメントにおいて、PK戦による決着が導入されてから2勝7敗と大きく負け越している。そんなタレントに見合わない不甲斐ない戦績が続いていることから、日本の一部サッカーファンからは珍グランドという不名誉な蔑称で呼ばれている。 このような苦戦の原因としてプレミアリーグに外国人選手が多く自国の選手が育ちにくくなっていることや、過密日程が選手の疲労や試合レベルの低下を招いていることを挙げる声がある。 あとは食べている物の差でもあるのだろうか 2012年、ナショナルフットボールセンターのセント・ジョージズ・パークが開設されたが、こういった改革がイングランド代表の実績にどんな影響を及ぼすかは今後明らかになっていくことだろう。 ちなみに長い歴史があれどあくまで「英国(連合王国)の一地方のチーム」なため、オリンピックには縁がない。 一応2012年ロンドンオリンピック時等では他地方代表(スコットランド・ウェールズ・北アイルランド)と合わせた「イギリス代表チーム」が結成されたりもしたが、 ロンドンの時には諸事情により男子はイングランド・ウェールズ連合チーム、女子はイングランド・スコットランド連合チームとなり北アイルランドは不参加となってしまい、リオデジャネイロではイングランドから提案したらディスられ断念したという。 この地域間の深い溝は主にイングランドの歴史が原因であるのだが、ここでは割愛する。 近年のW杯・EUROでのイングランド代表 以下、近年のイングランド代表が歩んできたイバラの道について触れてゆく。 1990年W杯 グループFでアイルランドとオランダに立て続けに引き分け。第2節までの4試合が全て引き分けであるという大接戦となり、イングランドはオランダ戦で主将のブライアン・ロブソンを欠く事態となったがエジプト戦に勝利したことによりグループ首位通過。決勝トーナメントでも初戦でベルギー、準々決勝でカメルーンに勝利し準決勝進出を果たすが、最終的に優勝を果たす西ドイツにPK戦で敗れ、その際チームの攻撃を牽引してきたポール・ガスコインの流した涙が話題となった。(*2) 3位決定戦では開催国イタリアに敗れるものの1966年に優勝して以来の4位。そしてこれ以降イングランド代表は20年以上に亘って大舞台で苦戦し続けることに… EURO1992 グループAでデンマーク戦とフランス戦いずれもスコアレスドローで終え、その後開催国スウェーデンに敗れたことでグループ4位での敗退。 EUROは本大会までは出場国数が8であり、大会出場を決めた時点で実質ベスト8ではある。 1994年W杯 予選のグループ2でオランダとノルウェーに対しそれぞれ1引き分け1敗という不振が祟ってまさかの予選敗退。 ちなみに本大会の予選では次回開催国のフランスが「パリの悲劇(*3)」で出場を逃したことや、日本国内ではあのドーハの悲劇が大きな話題となった。 EURO1996 本大会は母国開催ということで躍進が期待された。 スイスと引き分けたのちスコットランドとオランダに連勝しグループAを1位通過。 準々決勝ではスペインにPK戦で勝利(!)したが、続く準決勝ではPK戦に敗れた。 相手はPK戦が比較的得意で、かつ最終的に優勝を果たすドイツであったので少々致し方なかった所もある。 1998年W杯 グループGではチュニジアに勝ち、シード国のルーマニアに敗れたが、コロンビアに勝ったことで2位通過。 決勝トーナメント初戦の相手はアルゼンチン。2-2で迎えた後半開始早々に事件が起きる。デビッド・ベッカムがディエゴ・シメオネのタックルを受けて倒されたのだが、ベッカムは倒れたままシメオネの足を引っかけ転倒させるという報復行為に出てしまい、結果ベッカムは一発退場となる。後半と延長戦を10人で凌いだイングランドであったが、再びPK戦でのトーナメント敗退となった。 この敗退を受けて非難の矛先は主にベッカムに向けられ、デイリー・ミラー紙は"10 heroic lions, one stupid boy"と断罪するなど、以降彼は2年以上に亘って批判され続けることとなった。 EURO2000 グループAに配属。 ポルトガル戦では2点を奪った後3失点するという形で逆転負け。続くドイツ戦では1-0で勝ち前回大会のリベンジを果たすものの、ルーマニア戦では先制された後2点を奪って逆転するものの、そこから2失点し再逆転され勝ち点3・グループ3位で敗退となった。 ベッカムがポルトガル戦の2点を演出しながらも浴びせられる批判が最高潮に達したのがこの時期であった。 2002年W杯 アルゼンチン・ナイジェリア・スウェーデンと同じグループFに入った。 強豪が多い死の組への加入となったが、アルゼンチンに勝利し残り2チームに引き分けたことで、スウェーデンに続く2位通過を果たした。 アルゼンチン戦では本大会で主将を務めたベッカムがシメオネと和解、試合ではベッカムが決めたPKが決勝点となり、ベッカムは予選での活躍と併せて4年前の汚名を返上した。 決勝トーナメントでは初戦でデンマークに3-0と完勝するものの、続く準々決勝でブラジルに逆転負けしベスト8で敗退。とはいえ相手は最終的に優勝を果たすチームであり、救いはあるほうだった。 EURO2004 グループBでフランス・スイス・クロアチアと同居。 フランス戦ではベッカムのPK失敗もあって1-2で敗れるが、残り2戦に連勝して2位通過。 決勝トーナメント初戦(準々決勝)の相手はポルトガル。開始早々先制するものの前半のうちに若手ルーニーが負傷交代を強いられ、後半に追いつかれる。延長戦ではソル・キャンベルのゴールが認められないという出来事もあり、更に勝ち越し点を決められるが、その5分後にランパードが同点ゴールを決め、なんとかPK戦へと持ち込む。だがそのPK戦で1番手のベッカムがフランス戦に続き失敗、最終スコア5-6。またもやPKで苦杯をなめる結果となった。 2006年W杯 グループBではやや苦しみながらもパラグアイとトリニダード・トバゴに連勝し早々にグループ突破を決め、スウェーデンと2-2のドロー。 スウェーデン戦でオーウェンを負傷で欠いたせいか決勝トーナメント初戦ではエクアドルにやや苦戦するものの、ベッカムのFKで挙げた1点を守り切り勝利した。 準々決勝の相手はポルトガル、EURO2004に続く対決である。マンチェスター・ユナイテッドで攻撃の核を担う若手であるルーニーとC・ロナウドが対決するという構図となった。 前半はスコアが動かず。後半早くにベッカムが負傷交代を強いられたのちに事態が急変する。 ルーニーがカルヴァーリョを踏みつけるラフプレーにより一発退場。カードが提示される前にC・ロナウドが主審に激しく抗議し、ルーニー退場後には彼がベンチに向かってウインクする姿が目撃されたため、イングランド国内ではC・ロナウドがチームメイトのルーニーを退場に追いやったと解釈された。 試合は10人のイングランドが攻撃を凌ぎ切りPK戦に入るものの、3人のシュートが相手GKリカルドに止められたことでPK戦敗退。特にジェイミー・キャラガーは最初主審のホイッスルの前にボールを蹴ってしまい成功するものの当然認められず、蹴り直しがセーブされてしまった。 そしてこのPK戦で唯一成功したオーウェン・ハーグリーヴスがカナダ出身であったため、イングランド人はPKに弱いという説が説得力を増したりもした。 こうして、90年代から数えて4度目のPK戦によるトーナメント敗退を喫してしまった代表であるが、非難の矛先は主にルーニーを退場に追いやったとされたC・ロナウドに向けられた。しかし彼はルーニーに謝罪し和解した模様で、本大会の後レアル・マドリードに移籍するまでの3シーズン、ルーニーと共にマンUのプレミア3連覇や2007-08シーズンUCL優勝の原動力となる。 EURO2008 予選のグループEでクロアチアとロシアの後塵を拝し予選敗退。 アウェーでのクロアチア戦ではDFガリー・ネヴィルのバックパスをGKポール・ロビンソンが空振りしオウンゴールするという惨事にも見舞われた。 2010年W杯 堅実な志向を信条とする名将ファビオ・カペッロを監督に迎え、欧州予選最多の34得点で出場を果たす。 そしてグループCで同居することとなったのはアメリカ・アルジェリア・スロベニア。 サン紙がEngland・Algeria・Slovenia・Yanksの頭文字を取ってEASY、もといビートルズ以来最高のグループと表現したように、比較的戦いやすい組に入れて安心という風潮があった。 ところがアメリカ戦ではジェラードのゴール(*4)で先制するものの、アメリカMFデンプシーのさほど力のないシュートをGKグリーンがキャッチ…したかに見えたがボールはグリーンの手からこぼれ落ちそのままネットを揺らすという形で追いつかれてしまう。続くアルジェリア戦ではスコアレスドローに終わり、スロベニア戦で1-0で勝利し辛うじて2位通過(*5)を果たすという為体であった。 決勝トーナメント初戦の相手は強豪国のドイツ。とはいえ本大会のドイツは若い選手が多く経験不足であり、更にグループリーグでセルビアに敗れるなど不安要素を抱えていた。しかし試合は前半相手GKノイアーのアシストなどで2点を先制され、その後1点を返したところで事件が起きる。 ランパードのミドルシュートがクロスバーに当たりゴールラインを越えたのだが、これをノイアーがすかさずキャッチしそのままドイツ選手はプレーを続行している。そう、ランパードのゴールが認められないという世紀の大誤審が起きてしまったのである。1966年大会決勝のジェフ・ハーストによる疑惑のゴールと同様の事態が立場を変えて発生したのであった。 これにより前半を1-2で終えることになったイングランドは、後半ミュラーやエジルらドイツの若手選手が紡ぎ上げるカウンター攻撃の餌食となり、1-4でフルタイム。とてつもなく不幸な形でのベスト16敗退となった。 EURO2012 グループDでフランスと引き分けたのちスウェーデンとウクライナに連勝して首位通過。 しかし決勝トーナメント初戦でイタリアと対戦、またしてもPK戦で敗れてしまった…。 2014年W杯 ウルグアイ・コスタリカ・イタリアと共にグループDに組み分けされた。 何と優勝経験国3チームが同居する死の組入りであり、国民も過半数がグループリーグ敗退を予想、サン紙も4年前とはうってかわって"LORD HELP US!"とこの事態を嘆いた。 イタリア戦では先制されたのちルーニーの好アシストでダニエル・スターリッジが同点ゴールを決めクネクネダンスを披露するもののバロテッリのヘディングが決まり敗れた。続くウルグアイ戦ではルーニーのW杯初得点となる同点ゴールがあったが、主将ジェラードの僚友であるルイス・スアレスを止められず彼の2ゴールの前に敗れ、コスタリカ戦(スコアレスドロー)を待たずしてグループリーグ敗退が確定してしまった。 グループDではコスタリカの番狂わせやスアレスの噛みつきといった注目を集めた出来事もあったが、それらとは関係なしに残念でもなく当然の結果となったようである。 EURO2016 ロシア・ウェールズ・スロバキアと共にグループBに組み入れられる。 ロシア戦では後半ATに追いつかれドロー。イングランド代表はここまでEURO本戦での初戦に勝ったことがなく(本大会も含めると5引き分け4敗)、暗雲が立ち込める結果となる。 ウェールズ戦ではガレス・ベイルのフリーキックで先制されるものの、いずれも交代メンバーのジェイミー・ヴァーディとスターリッジがゴールを決めて逆転勝利。 スロバキア戦ではスコアレスドローに終わるもののグループ2位となり決勝トーナメント進出を決めた。 そして決勝トーナメント初戦の相手は幸運なことに格下のアイスランド。試合も開始4分でルーニーがPKを決め幸先よく先制…したのだが、その後前半のうちに2点を奪われ逆転され、後半に巻き返すこともできずに試合終了のホイッスル。イングランドは本大会最大の番狂わせの犠牲となってしまった。 そしてこの敗退を受けて、皮肉の得意な国内メディアは代表チームを徹底的に扱き下ろした。 デイリー・メール紙は「いなくなって清々した」、デイリー・エクスプレス紙は「わけがわからない」、デイリー・テレグラフ紙は「イングランド最大の恥辱」と辛辣な言葉を並べ、元イングランド代表FWゲーリー・リネカーはTwitterで「我々の歴史上最悪の敗北。イングランドはプロサッカー選手より火山が多い国に負けた。アイスランドは良いプレーをした」とコメントした。 折しもイギリス国内では国民投票によりEU離脱が決められており、イングランドがEUからもEUROからも離脱することや、デービッド・キャメロン首相とロイ・ホジゾン監督の辞任表明が重なったことを皮肉るジョークが流行した。キャメロン首相の後任に「欧州から撤退する国を率いるのにうってつけの人物」としてホジゾン監督を推すジョークまで流れる始末であった。 2018年W杯 グループGでベルギー・パナマ・チュニジアと同居。 チュニジア戦はハリー・ケインの2ゴールで勝利、初出場のパナマ相手に6-1の大勝。 グループリーグ最終戦のベルギーに敗れ2位通過となるも、結果的に強豪国の少ない楽な山に入ることに成功。 ベスト16のコロンビア戦、後半のPKで先制するも、結局ATに追いつかれ延長戦に。 しかし延長戦でも決着はつかず、試合はPK戦にもつれ込む。 今までPK戦を大の苦手としていたチームであったが……なんと3-4で制したのである! W杯でPK戦を制したのは初めてのこと。まさに歴史が動いた瞬間である。 この勝利により、「ベスト8に入れば上出来」と言われていたチームは俄然勢いづき、続くスウェーデン戦は2-0で勝利。実に7大会ぶりとなるベスト4進出を決めたのだった。 準決勝クロアチア戦。開始5分でFKを得ると、キーラン・トリッピアーのチーム初シュートが先制点となり、幸先の良いスタートを切る。 さらに相手は2戦連続PK戦を戦い抜いており、体力的にも有利に思われたが…… クロアチアはそこから驚異的な粘りを見せ、後半イヴァン・ペリシッチのゴールで追いつかれ、再び延長戦にもつれ込む。 結局相手エース、マリオ・マンジュキッチに逆転弾を決められ、さらに先制点を挙げたトリッピアーが負傷退場して万事休す。 3位決定戦では再びベルギーに敗れるものの、久々の4位。前評判を考えるとまさに大きな躍進を見せてくれたと言っても過言ではないだろう。 EURO2020 グループDに所属。対戦相手はクロアチア、スコットランド、チェコ。グループ初戦でW杯ロシア大会ベスト4の再戦が実現した。 クロアチア戦はラヒーム・スターリングのゴールを死守し1対0で勝利。見事にリベンジを果たした。 次のスコットランド戦はスコアレスドローに終わったが、3戦目はチェコに勝利し勝ち点7でグループ1位突破を果たした。 しかしここまで得点を取ったのはスターリングだけ。点取り屋のケインはいまだノーゴール。 ベスト8をかけて戦う相手はドイツ。後半30分にスターリングのゴールが生まれ、さらに後半41分に初めてケインのゴールが生まれてベスト8に進出した。 準々決勝はウクライナと対決。ケインの2ゴールやMFのヘンダーソンにゴールが生まれ4対0で圧勝。 ここまでの試合で相手に1点も与えない堅守で勝ち進み、ベスト4に進出した。 準決勝は、フィンランド戦でエリクセンが心停止を起こして倒れる(*6)というショックを乗り越えて勝ち進んだデンマーク。 前半の早いうちにデンマークのゴールが決まり先制され、イングランドはこれが初失点。(ちなみにこのゴールは直接フリーキックで決まったゴールであり、かつこの大会で最初の直接フリーキックだった) しかし前半のうちに相手のオウンゴールで追いつき、後半でも決着はつかず延長戦へ。 延長前半12分、スターリングがペナルティーエリアで倒されPKを獲得。 相手の足がかかってないように見えるためデンマークは猛抗議するもVARの介入はなく、ケインがゴールを決め決勝へ進出。 決勝の相手はイタリア。ウェンブリースタジアム開催とだけあってイングランドの完全ホーム状態。 ここで活躍したのが左サイドバックのルーク・ショウ。ここまで3アシストを決めていたのだが、この試合では前半2分にクロスをボレーで合わせて早々と先制弾を決める。 しかしここで屈しないのがイタリア。後半22分コーナーキックの膠着状態からDFボヌッチがこぼれ球を押し込み追いつき1対1で終了し、延長戦に突入。延長戦でも決着はつかず、PK戦へ。 先攻はイタリア。 1人目はイタリアのヴェラッティ、イングランドのケインともにゴールを決める。 2人目はイタリアが失敗し、イングランドはマグワイアが右上隅に決めてリード。 3人目はイタリアがきっちりと決める。しかしイングランド、ラッシュフォードのキックは完全に逆をついたにもかかわらず、左ポストに当たってしまいゴールならず。 4人目もイタリアはきっちりと決める。イングランド4人目は目覚ましい活躍をクラブチームで見せたサンチョ。しかしGKドンナルンマに止められてしまう。 5人目、イタリアのシュートはGKピックフォードがかろうじて止める。これでイングランドが決まればサドンデス。キッカーはサカ。ゴール右に蹴るも再びドンナルンマに止められてしまい試合終了。 イングランドはまたしても列強国とのPK戦に勝てなかった。 しかし90年大会を超える準優勝は見事であり、若い選手の台頭に期待を残す結果でもあった。 なおその後、PKを外してしまった3人(奇しくも全員が若手の黒人選手であった)に対する人種差別の投稿が相次いだことが判明。 貧困に苦しむ人たちに無料給食を届けたラッシュフォードにもその矛先が向けられ、本人も出自に関しては決して謝罪しないと宣言した。 サッカーをこよなく愛する者として人種差別は絶対にしてはいけないと声を上げなければならないだろう。 主な選手 ○ビリー・ライト イングランド代表で初めて100試合出場を達成したDF。105試合中90試合で主将を務め、1950年・1954年・1958年とW杯3大会に出場した。 クラブでは引退まで一貫してウルヴァーハンプトン・ワンダラーズFCに所属し、3回のリーグ優勝を経験した。 ○ボビー・チャールトン イングランド史上最高の選手と呼ばれている人物。 若くしてマンチェスター・ユナイテッドの主力に定着するが、1958年に飛行機事故で多くのチームメイトを喪い(*7)(ミュンヘンの悲劇)大きなショックを受けた。しかしその後立ち直り主将としてチームを牽引、FAカップやリーグ優勝を経験し、事故から10年後にはイングランドのクラブ初となるチャンピオンズカップ(現在のUCL)優勝を果たした。 代表では106キャップ49得点の実績を残し1966年のW杯優勝にも貢献、同年にはバロンドールも受賞した。 ○ボビー・ムーア 1966年W杯優勝時を含め、代表108試合中90試合で主将を務めたDF。 長年所属したウェストハム・ユナイテッドでも象徴的な存在であった。 ○ジェフ・ハースト 1966年W杯決勝で3得点を決め、イングランド優勝の立役者となった。 2022年W杯でフランスのキリアン・エムバペに並ばれるまで、長らくW杯決勝でのハットトリックは唯一の記録となっていた。 しかし、延長前半に決めた勝ち越しゴールがラインを越えていたかどうか微妙であったため、論争の的になった。 ○ゴードン・バンクス イングランド史上最高のGKとの誉れ高い「イングランド銀行」。 1966年W杯では、準決勝でポルトガルのエウゼビオに1点を決められるまで開幕戦から5試合を無失点に抑えた。 特に1970年W杯1次リーグのブラジル戦、「サッカーの王様」ペレのヘディングシュートを阻止したプレーは、サッカー史に残る語り草となっている。 ○ピーター・シルトン 1970年~1990年にイングランド代表最多記録の125試合に出場したGK。 ノッティンガム・フォレスト時代にリーグ優勝やチャンピオンズカップ2連覇を経験、その後多くのチームを転々とし40代に入っても現役を続け、47歳で引退するまでに1005試合に出場した。 1986年W杯でのマラドーナ(*8)の神の手および5人抜きの被害者でもある。 ○ケビン・キーガン 小柄ながら豊富な運動量が持ち味であった"マイティ・マウス"。 リバプール時代にチャンピオンズカップ制覇・UEFAカップ(現在のヨーロッパリーグ)制覇2回・リーグ優勝3回、ハンブルガーSVではブンデスリーガ制覇・チャンピオンズカップ準優勝に貢献し、1978年と1979年に2年連続でバロンドールを受賞した。 代表では63試合に出場し21得点を挙げたが大舞台での活躍には縁がなかった。またEURO2000では代表監督を務めた。 ○グレン・ホドル 両足を遜色なく使いこなしたMF。 クラブではトッテナムのUEFAカップ優勝やASモナコのリーグ優勝に貢献した。代表では1986年W杯ベスト8の原動力となるなど53試合出場。 1996年には39歳の若さでイングランド代表監督に就任。1998年W杯でのガスコイン外しは議論を呼んだ。 ○ブライアン・ロブソン 運動量・パスセンス・ミドルシュートが持ち味のMFで、クラブと代表の両方で主将を務めた。 マンチェスター・ユナイテッドではエースナンバーの7を背負っていた。1982年W杯1次リーグフランス戦では試合開始1分でゴールを決めた。 ○ゲーリー・リネカー 代表通算80キャップ48得点を記録したFW。 1986年W杯では6得点を挙げ得点王に輝き、代表キャリア末期(EURO1992など)には主将も務めた。 地元のクラブであるレスターでキャリアをスタートさせ、その後エバートン→バルセロナ→トッテナムと渡り歩き、レスター・エバートン・トッテナムそれぞれでリーグ得点王に輝いた。キャリア晩年にはJリーグ黎明期の名古屋グランパスエイトでもプレーした。しかし…… フェアなプレースタイルも特長で、20年間の現役生活でレッドカードはおろかイエローカードすらもらったことがなかった。 また古巣のレスターへの想いは今も強く、2015-16シーズンの奇跡の優勝の際には予てからの公約であったパンツ一丁でのテレビ出演を実行した。 ○スチュアート・ピアス イングランド史上最高の左SBと呼ばれた選手。その熱いプレースタイルから"サイコ"のニックネームで親しまれた。 1990年W杯では大会を通じ好パフォーマンスで準決勝進出に貢献したが、準決勝の西ドイツ戦でクリス・ワドル共々PKを失敗してしまった。他1992年・1996年のEUROでも活躍するなど、代表戦78試合に出場した。 ○ポール・ガスコイン 高いドリブル・パス技術を持ったMFで、愛称は"ガッザ"。 1990年W杯でベスト4に貢献したこと、そして準決勝敗退の際に流した涙が話題となり、社会現象となるほど国民の人気を集めるようになる。 一方でキャリア中期からアルコール依存に悩まされ、引退後現在に至るまで飲酒運転や暴行などで度々逮捕されているようにトラブルメーカーとしても有名。 ○アラン・シアラー 1990年代のイングランドを代表するFW。プレミアリーグでは3年連続得点王に輝いたほか、プレミアでの通算260ゴールは歴代1位である。 1994年半ばからEURO1996直前までしばらくゴールが生まれなかった(シアラーパズルと呼ばれた)が、EURO1996では5得点を挙げ得点王となった。 ○ガリー・ネヴィル 引退までマンチェスター・ユナイテッドで過ごしたフランチャイズ・プレーヤー。ポジションは主にSB。 1998-99シーズンにはプレミア・FAカップ・UCLの三冠など数々のタイトル獲得に貢献し、2005年から2011年の引退まで主将も務めた。 弟のフィリップ・ネヴィルもマンUやエバートンおよび代表で活躍した選手である。 ○デビッド・ベッカム ご存知イングランドサッカー界のスーパースター。その甘いマスクなどピッチ外での話題も豊富であり、2002年W杯の際日本では彼の髪形が流行したことも記憶に新しい。 マンチェスター・ユナイテッドではネヴィルやスコールズ共々若い頃から期待をかけられ、背番号7を背負い三冠などのタイトル獲得に貢献。その後はファーガソン監督との関係悪化もあり、2003年には銀河系軍団ことレアル・マドリードに移籍した。 代表では1998年W杯での報復行為で大きな非難を浴びたが、その後2002年W杯予選で信頼を回復させたことは上述した通り。2006年W杯後に主将の座を辞したがその後も度々代表に選出され、最終的に115試合に出場した。2010年W杯は負傷で選手としての出場は叶わなかったが、選手とコーチ陣の間を取り持つ役としてチームに帯同した。 ○ポール・スコールズ ネヴィル同様引退までマンチェスター・ユナイテッドに所属した。 1998-99シーズンの三冠に貢献するなど、11回のプレミア制覇・2回のUCL制覇を含めた数々のタイトルを獲得した。 一度現役引退した後、ファーガソン監督の要請で1年程復帰を果たした。 ○リオ・ファーディナンド クラブでは主にマンチェスター・ユナイテッドで過ごし、2000年代の快進撃を支えたDF。 代表では81試合に出場し、1998年・2002年・2006年と3回のW杯でメンバーに選出された(2010年W杯は直前の負傷により離脱)。 イタズラ好きな一面があり、企画でチームメイトにドッキリを仕掛けたことがある。 ○マイケル・オーウェン 17歳でリバプールのトップチームデビューを果たした"ワンダー・ボーイ"。 18歳で出場した1998年W杯アルゼンチン戦で挙げたゴール(センターサークル付近からドリブルし2人抜いた)は現在でも語り草となっている。2001年にはバロンドールを受賞した。 その後はレアル・マドリードで1シーズン過ごしたのち再びプレミアに戻ったが、キャリア中期からは度々故障に悩まされていたようである。 ○フランク・ランパード キャリアの大半をチェルシーで過ごした万能型MFで、3度のプレミアリーグ優勝や2011-12シーズンのUCL優勝を経験した。2017年2月に引退。 代表では似たタイプの実力者であるジェラードとの共存問題は監督の悩みの種であった。 IQ150の頭脳の持ち主でもあるらしい。 ○スティーブン・ジェラード リバプールのレジェンド。 中盤ならどこでもこなせる万能型MFであり、2004-05シーズンのUCL優勝に貢献した。2016年11月に引退。 代表では通算114キャップ、2010年W杯~2014年W杯で主将を務めた。 ○アシュリー・コール 全盛期は世界最高の左サイドバックとも称された名手。 ユース時代からアーセナルに所属していたが、2006年にライバルのチェルシーへ移籍。両チームでプレミア制覇を経験した他、チェルシーではUCL優勝の美酒も味わった。 代表では2014年までに107試合出場。 ○ウェイン・ルーニー キャリア初期を地元のクラブであるエバートンで過ごしたのち、モイモイFOOTBALL GENIUSモイーズ監督との関係悪化もあって2004-05シーズンにマンチェスター・ユナイテッドへ移籍した。マンUでは歴代通算得点ランクでボビー・チャールトンの記録を抜いて現在1位である。 技術や得点力も高いが、フィジカルや献身性も併せ持っており、マンU入団当初はスタンドプレーに走りがちでボールロストも多かったC・ロナウド(*9)よりも評価が高かった。後にパフォーマンスを向上させた彼と、元アルゼンチン代表のカルロス・テベスも加えた悪童トリオ攻撃陣の躍動は2007-08シーズンのUCL優勝へと繋がった。マンUでのキャリア晩年は主将も務めた。 2016-17シーズンを最後に退団し、古巣のエバートンに復帰した。エバートン入団後間もなく代表引退を表明したほか、アラン・シアラー以来2人目となるプレミアリーグ通算200ゴールを記録した。 代表デビューは17歳111日と当時の最年少記録であり、現在イングランド代表歴代通算最多得点記録保持者である(こちらもボビー・チャールトンの記録を抜いて1位となった)。 若い頃はラフプレー・暴言・アルコール依存・トイレ以外の場所での放尿などの素行不良でも知られた他、薄毛など容姿をからかわれることも少なくない。 ○ジョン・テリー チェルシーの主将を務めるCBで、闘志あふれるプレーが持ち味である。 2007-08UCL決勝では自身のPK失敗が祟って優勝を逃したが、2011-12UCL決勝で同チームがバイエルン・ミュンヘンにPK戦に勝利し優勝を果たした(テリー自身は出場停止であった)。 代表では2003年~2012年に78試合出場。不倫疑惑や人種差別疑惑で主将の地位を剥奪されるという騒動に巻き込まれたこともあった(後者に関しては裁判で無罪が確定している)。 ○ピーター・クラウチ 身長203cmを誇る長身FW。2006年W杯および2010年W杯に出場した。 純朴な人柄から国民の人気が高く、ゴールを決めた後にはロボットダンスを披露することがある。 ○ジョー・ハート イングランド代表正GKを長く務め、2010年W杯後に代表のレギュラーに定着した。 マンチェスター・シティでは2010年代に入ってレギュラーの座をつかみ、2回のプレミアリーグ制覇などを経験したが、足元の技術に不安があることで新監督のペップことグアルディオラの信頼を得られず、トリノ、ウエストハムにレンタル移籍後、バーンリーに完全移籍。 しかしこれは後に代表GKの一人となるニック・ポープの控えとしてであり出場機会は少なく、移籍した2018年以降は代表には呼ばれていない。 ○ハリー・ケイン ビッグ6の一角、トッテナム・ホットスパーの象徴的選手。 2014-15シーズンにリーグ21得点を記録する大ブレイクを果たし、以降もその勢いを絶やさず3度のプレミア得点王に輝いた当代の絶対的エースストライカー。 だがいかんせんトッテナムがビッグ6の中では格下なのも災いし、個人タイトルは山ほど持ってるのにチームとしてのタイトル経験ゼロという無冠の帝王としても有名。 その末に2023-24シーズンでブンデスリーガ11連覇中の絶対王者バイエルン・ミュンヘンへの移籍を決断。プレミアリーグ全盛の昨今で自国のエースが国外流出という異常事態となってしまう(*10)。 が、よりにもよって同シーズンにシャビ・アロンソ監督率いるバイエル・レバークーゼンが大躍進し無敗優勝を成し遂げて連覇が途切れたうえ、カップ戦のDFBポカールも2回戦で3部の1. FCザールブリュッケンに大金星を献上し敗退(*11)という結果に終わったことで、「スパーズというよりケイン本人がそういう星の下に生まれたのでは」と囁かれている。なお例によってケイン個人としては43試合で42ゴールを記録してリーグでもダントツの得点王(36ゴール)に輝いた。 代表デビューはEURO2016予選のリトアニア戦であるが、ルーニーと交代で入った79秒後に代表初ゴールを記録した。 188cmの長身なのだが、EURO2016本選ではなぜかコーナーキックのキッカーを任され、このホジソン監督の不可解な采配が批判されたりもした。 ○ジュード・ベリンガム 国内でのプレーが現状「地元のバーミンガムシティ(2部)にて16歳でプロデビューした1シーズン限り」というイングランド人としては珍しいキャリアの持ち主。 だが、その1年間+ユース時代だけでバーミンガムシティに当時の背番号22番(*12)を永久欠番にすることを決断させたほどの神童。当時からすればいくらなんでも先走りすぎであったが、今となっては正しかった。 ドイツの2番手にして育成の名門ドルトムントに引き抜かれ、10代にしてブンデスリーガで無双し、20歳になるのを待たずレアル・マドリードへステップアップを果たす。 ドルトムント時代までは攻守万能のボックストゥボックスMFとして通っていたのだが、マドリーでは何を思ったか前寄りで起用されるとそれに応えて点取り屋として覚醒。キャリア初のリーグ2桁どころか28試合で19ゴールを叩き出し、もしフル稼働していれば得点王ペースであった。 一方で、代表でも守備的MFとして重宝していたのが運用法に悩まざるを得なくなってしまい、EURO2024では攻撃的MFで固定されて決定的な仕事を見せるもチームとしては噛み合わせの悪さも見られた。 追記・修正はPK戦のトラウマを克服してからお願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] EURO2016敗退後の一連のキレキレブリティッシュジョーク好き 特にEURO離脱と次期首相ホジソン推薦は腹抱えて笑ったw -- q (2017-03-24 21 42 10) UKでチーム作れば強くなると思う。絶対無理だろうけど。 -- 名無しさん (2017-03-27 10 54 59) PK戦に弱いと聞いてたがここまでとは -- 名無しさん (2017-04-26 20 53 22) 強豪だけどタイトルに恵まれないという意味ではオランダ代表の記事も見てみたいな -- 名無しさん (2017-08-12 11 55 22) とにかくゲームメーカーとか想像性のある選手がいない。 -- 名無しさん (2018-01-06 19 45 13) 中盤に1人スペイン人いるだけでワールドカップ優勝できると思うんだよな -- 名無しさん (2018-01-06 19 46 16) 実は90年大会はイギリス代表だったら優勝出来たって指摘がある -- 名無しさん (2018-04-30 18 33 51) なんかクッソ強いイメージあったけど日本なんか歯牙にもかけない成績、ってわけでもないんだな -- 名無しさん (2018-07-03 15 41 02) ロシア大会ベスト16でついにPK戦を制したぞ… -- 名無しさん (2018-07-04 05 55 12) ↑イングランド伝統の4-4-2のフォーメーションに固執しなくなったことも躍進要因の1つ -- 名無しさん (2020-07-14 00 40 16) ロシア大会でPK戦の苦手意識を克服したと思ったら、EURO決勝でまた泣かされてしまった… -- 名無しさん (2021-07-12 07 07 37) イングランドと関係ないんだが、デンマーク何かあったの? -- 名無しさん (2021-07-15 22 18 11) ↑フィンランド戦でエリクセンが心停止を起こして死にかけてた -- 名無しさん (2021-07-15 22 26 29) ロンドン五輪の時、 -- 名無しさん (2021-08-13 14 59 51) ↑続き イングランドサッカー協会から「せっかくだし一回限りでいいからサッカーイギリス代表でいこう」と提案したんだが、スコットランドと北アイルランドが断固拒否。結果イングランドとウェールズだけのイギリス代表に -- 名無しさん (2021-08-13 15 06 50) まあまあ強い から脱却できねぇ国 -- 名無しさん (2022-12-29 11 10 59) EURO2大会連続準優勝… -- 名無しさん (2024-07-15 06 16 38) サウスゲイトが辞任したので後任を検討している中、まさかの協会による公募も行われる。応募条件はすさまじく厳しいが -- 名無しさん (2024-08-11 21 30 40) 誰が呼んだか珍グランド -- 名無しさん (2024-09-08 14 39 50) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/commusoccerfb/pages/30.html
東京都社会人サッカーリーグ 加盟国:日本(東京都) 大陸連盟:AFC リーグレベル:7〜10部相当(都道府県リーグ) 上位リーグ:関東サッカーリーグ(地域リーグ) 東京都サッカー協会 東京都社会人サッカー連盟 注目クラブ(2023年) 1部 東海海上FC(千代田区) CERVEZA FC東京(?) SHIBUYA CITY FC◎(渋谷区) アローレ八王子◎(八王子市) アストラ倶楽部(豊島区) 八王子FC(八王子市) ZION FC(武蔵村山市、立川市、昭島市、西多摩郡瑞穂町) T.U.A.SC(世田谷区) ↑Edo All United◎(中央区) ↑FLUTTO-FLUTTO(?) ↑FC ECOPLAN(新宿区) 2部 1ブロック TOKYO2020 FC◎(世田谷区を中心とする東京の都市部) 大森FC◎(大田区) FC PHOENIX◎(港区) CITY F.C(府中市、調布市、三鷹市) 東京SONIC(?) 青梅FC(青梅市) むさしのFC(武蔵野市、三鷹市) ↑FC Restars(品川区) 2ブロック ↓OLIVAS F.C.(町田市、八王子市)2022年HOSEI Football Labから運営主体を移管 ↓FC青山(渋谷区) スペリオ城北◎(北区を中心とする城北5区) R.F.C. Tokyo(?) プログレッソ東京(稲城市) FC Griffin Tokyo(世田谷区、品川区) C.A.REAL TOKYO◎(東京都) ALL ROUNDER F.C.(中野区) ↑SUGINAMI Selection Club(杉並区) 3ブロック 慶應BRB(?) FC KOREA(北区) FCフエンテ東久留米◎(久留米市を中心とする多摩地域) FC INAHO(新宿区戸塚) DOMENS(文京区) HBO東京(品川区) 東京ベイFC(大田区、品川区、中央区、港区) FC COAST◎(品川区を中心とする湾岸エリア) F.C. Kirinoha Tokyo(新宿区) ↑府中アスレティックFC(府中市) 3部 1ブロック ↓DESEO東京(足立区) A.C ammaliatore(文京区、荒川区、北区、埼玉県川口市) FC府中(府中市) 2ブロック ↓FC.suntory EGS(?) 東京多摩フットボールファミリオ(多摩市) HFC(東村山市) ↑Horifoot(?) ↑E.C.CRUZA(足立区を中心とする全都) 3ブロック AC Fuerte Tokyo◎(東京都) FC.Mondeed品川(品川区) FCももユナイテッド(文京区) Jam.FC(三鷹市) ↑F.C. Divariet(新宿区を中心とする全都) 4ブロック FORTUNA TOKYO(品川区) レスファーラ杉並(杉並区) 杉並ジュエントスSC(杉並区) 昭島FCホリデー(昭島市) 5ブロック FC NossA 八王子◎(八王子市) FCトリプレッタ(渋谷区) ENCANTAR FC(東京都) 天王洲NFC(品川区天王洲) すみだSC(墨田区) ↑福生エアー(福生市) 6ブロック Intervallo(板橋区) 4部 1ブロック シュワーボ東京◎(江東区)2023年FCシュワーボから改称 武蔵野リンギオFC(武蔵野市) 港ユナイテッド東京(港区) 2ブロック ValFore United(?)2022年大江戸球武FVから改称 SCUDETTO(調布市、狛江市) 3ブロック CLANS TOKYO(渋谷区、目黒区) FC ソウル アルティスタ(埼玉県所沢市) FC FUMTOS(練馬区) エベルフィーノ城南東京◎(港区、渋谷区、目黒区、品川区、大田区、世田谷区(城南地区)) 4ブロック TRES CRECER FC(府中市、小平市、小金井市) 5ブロック B.Y.FC(東京都) 横浜副都心 ALBATZ FC◎(横浜市磯子区・港南区)2023年KADATUAN KOFFIE ALBATZ FCから改称 アバック銀座FC◎(中央区)新規 7ブロック SETAGAYA UNITED◎(世田谷区) Nakano City FC(中野区)新規 ※◎は公式サイト、SNSなどにJリーグを目指すことを記載・公言している
https://w.atwiki.jp/famicomall/pages/1140.html
前のゲーム | 次のゲーム クリア条件:ED画面を見る 開始時間:2008/04/30(水) 13 45 33.37 終了時間:2008/04/30(水) 15 53 49.70 徳間のサッカーゲー。1990年発売でこれは・・・・・・。 6人制・・・・・・英文・・・・・・いつのゲームだ・・・orz 5試合勝ち抜くと終了。パスあり。 B:カーソルチェンジ A:ボールを蹴りだす(スライディング) とりあえずやってみたらあっさり勝てちゃったので名乗りを挙げてみました …あっさりクリアできてしまいました(|||^ω^) とにかく繋ぎとか一切イラネ 凄まじいほどのドリブルゲーでした キーパーは相手のシュートコースを塞ぐように相手に近づけばいいよ 守備は味方陣内に入られるまでにAのスライディングで止めるのがセオリーみたい 攻撃は・・・CPUのキーパーは左右にカニ歩きをします タイミングをずらしてゴールに侵入すれば簡単にゴールが奪えるという( ^ω^) シュートを打ってゴールを奪う方が数段難しいです これがエンディング画面だお たったこの1画面の為にこのゲームを買ってしまったかわいそうな子達乙
https://w.atwiki.jp/fns27/pages/18.html
羽生直剛(20代/男) 2007-07-29 00 49 15 なまかなまかなまかなまかなまなかなまか!! テレビを見て、僕も元気をもらいましたなまかって本当にすばらしいですよね^^今夜は遅くまで起きて感動を共有したいと思います!!江原啓之きんもーっ☆ 本田月月子(20代/女) 2007-07-29 01 10 05 頑張って♪ ボウリング楽しそうですね私も彼とやりたいです。 長谷部誠(20代/男) 2007-07-29 01 54 10 頑張って 本田アナ可愛いですね。大好きです。 越後(50代/男) 2007-07-29 01 59 40 なまか最高!! この番組のおかげでみんななまかの重要性に気付くじゃないかな 越後(50代/男) 2007-07-29 02 10 04 なまかって素晴らしい!! この番組を通じてみんながなまかの重要性に気付いたらいいじゃないかな セルジオ(60代/男) 2007-07-29 03 59 59 ほりいけぇぇぇぇ!! なまかって響き素敵なんじゃないかな へなぎさわ(60代/男) 2007-07-29 04 05 07 QBK なまかのみんな応援してるお(^ω^)急にボーっと眠気が来たからと言って寝たりせずに頑張ってほしいお(^ω^) 羽生(20代/男) 2007-07-29 06 49 28 蹴りたくなかった 慎吾君を見てるとなまかの大切さが伝わってきます。なまか・・いい言葉ですね。 ヒデ(20代/男) 2007-07-29 13 25 01 NAMAKA 辛い事や楽しい事色々あるけれど、なまかと一緒に僕も人生Enjoyしたいですね。 QBK(20代/男) 2007-07-29 14 25 03 いじめは辛い 俺も昔、試合中にミスをしてしまってそれからいじめられた。でも、それが悔しくて必死に練習した。そうしたら少しずつだけどいじめもなくなった。 自分から変わることも必要だよね。けどいじめる事はもっと悪い。いじめなんてしても誰も得しないよ。みんななまかなんだ。 ボールはなまか(10代/男) 2007-07-29 14 45 09 俺たちの戦いはこれからだ! みなさんのがんばりから大きな勇気をもらってまいます。まだまだ先は長いですが、 なまかを信じてゴールを目指してダッシュダッシュダッシュ♪ ナカータ(30代/男) 2007-07-29 14 10 02 世界のなまか!! 僕はあちこち旅をすることが、もう、人生って感じになってます。世界中にたくさんの“なまか”がいる。旅はひとりでするものだけど、その土地土地になまかがいる。次にいつ会えるかわからないけど、『なまかがいるんだ!』って思いが僕を支えてくれる。みんなありがとう!この思い、どうか届きますように!! ヒデ(20代/男) 2007-07-29 14 20 02 STOPいじめ 27時間テレビ楽しく見ています。色々な問題を抱えている現代社会・・。人は一人では生きてはいけません。なまかを大切に人生Enjoyしてほしいですよね。 27時間 はにゅう(20代/男) 2007-07-29 14 50 02 テレビ楽しく見ています。僕自身いじめというか中傷にあった経験があります。人は誰でもミスをするし、もう少し思いやりのある社会になればいいですよね。
https://w.atwiki.jp/candice91/pages/35.html
うちの息子は体を動かすのが好きなのですが、 これまでは近所の公園に行ったり 友達と鬼ごっこをして満足していました。 でも最近少年サッカーに入りたいと言い出したんです。 少年野球とか少年サッカーって、親がとても大変なんですよね。 正直言うと、あまり入りたいと言ってほしくなかった感じです。 子供がやりたい事なら親が全力でサポートするもの、 という考え方ももちろんあります。 それは素晴らしいことですけど、あまりに負担が大きいのも考えもの。 平日は仕事をして、休日はスポーツの付き添いでは こちらも参ってしまいます。 サッカーをやれば体力もつくし 同じスポーツに取り組む仲間もできて、 良いこともたくさんあるんですけどね。 親の負担が大きくて嫌だという人は、 少年チームではなくて習い事の方を選ぶようです。 私としてもその方が助かるかな、と思うので、 いくつかサッカー教室を見学に行ってみようと思います。
https://w.atwiki.jp/animalrowa/pages/179.html
狼×お子様×サッカー場 ◆w2G/OW/em6 「うわぁ……!凄いなぁ……!」 「へー、結構デカいんだな」 円形の巨大な建物―――サッカー場を見上げ、まん丸とメレオロンは感嘆の声を上げる。 彼等は現在、E4のサッカー場の前にいる。 本当はゆっくり情報交換でもしようと思っていたのだが、彼らが出会った場所はE3の墓場のど真ん中。 どうにも、いい気がする場所ではない。。 そこで、どこか別の場所に行こうと地図を開いたところ……『サッカー場』という文字が、まん丸の目に飛び込んでしまったのだ。 サッカー大好きなまん丸はこの誘惑にまんまと引っ掛かり、サッカー場に行きたいと言い出した。 メレオロンもサッカー場なら付近の電波塔や発電所よりも参加者の注目度は低く比較的安全だろうとの考えにより、彼等はサッカー場を目指すことにしたのである。 (さて、どうすっかな……事務室とか、選手の控え室とか……とりあえずそこらへんに居座るか?) いくら注目される可能性が低いと言っても、ご丁寧にグラウンドのど真ん中に行くわけにもいかない。 できるだけ襲撃されにくい場所で情報交換を行おうとまん丸に提案しようとし――― 「……ん?」 ふと横を見る。 そこにいたはずの、2頭身の姿がいなかった。 前方に視界を移すと、そこにはワクワクしまくったオーラを振りまき駆けていく2頭身の後姿。 「………ガキんちょめ」 ◇ 「……どういった場所かの、ここは」 周りをぐるりと見回して、ホロはそう呟いた。 どうにも自然の物の雰囲気がしない芝生。そしてその周りを取り囲む、石造りの階段の様な建物。 「何かの儀式の為の祭壇かの?それにしては寂れたところじゃが……」 彼女の持つ知識には『サッカー』という単語は存在しない。 それ故に地図に書かれていた『サッカー場』という言葉が気になりやってきたのだが…… 「来て見たところで、分かるものでもなかったの」 好奇心が上手く満たされなかった事に不満を感じる。 少々ふてくされながら、夜空を見上げる様に芝生に寝そべり…… 「いい月じゃのー」 改めて夜空の月を見上げ、ぽつり。 人口の物らしき草原にも、人の手による建物にも、分け隔てなく降り注ぐ降り注ぐ月光を全身に浴び―― 鋭敏な聴覚で何者かの足音を聞き取り、ホロは身を起こす。 警戒しながら素早く草原周りの建物によじ登り、入口の上の死角へ身を潜める。 そこからやって来た者の姿を窺うが…… 「ん?」 草原への入り口から、青い毛並みを持つ小柄な影が駆けて来た。 姿形は鳥に似ているが……はて、飛ばずに地を走る鳥などは見た事が無い。 「んん?」 そしてその鳥らしきものの後ろから新たに現れた影。 今度は姿形はトカゲにそっくりだが……はて、トカゲは二足歩行する生き物だったであろうか。 「んんん?」 トカゲは鳥の背中のデイパックをむんずと捕まえ引き止めると、何かを言い始めた。 ……内容はだいたい分かる。アレは説教の表情だ。 端々に聞こえる言葉としては『お前はもう少し状況考えろ、殺し合いの場だぞ』『うう、ごめんなさい』といった感じの子供と大人の様な会話だ。 「……くす」 思わず漏らした笑い声に、ギョッとした表情で二匹がこちらを向く。 トカゲらしき者が手にした剣をこちらに向けたのを見、慌てて取り繕う。 「おっと、別にわっちはお主らと争う気はありゃんせん。 ただその……お主ら、何者じゃ?」 ◇ 「ふむふむ『ぺんぎん』か……全然知らんかったの、お主のような飛ばぬ鳥は。 わっちの住んどった北の森も寒いところじゃったが、お主のいた『シシカト島』というところは更に極寒の地だの」 「うん。ホロさんは狼さんなのに、紫狼沙さんとは全然違うんだねー」 「紫狼沙? お主は知り合いに狼がいるのかの」 「うん、紫狼沙さんはねぇ……」 「……おーいお前ら」 サッカー場の観客席に座り、ニコニコと笑いながら話をするまん丸。同じようにニコニコ笑いながら話をするホロ。 二匹ののんびりとした雰囲気に耐えられなくなり、メレオロンはついに会話に割り込んだ。 「何じゃメレオロン。せっかく楽しく話をしとったのに……会話に混ざりたいならそう言わんか」 「そうじゃなくてな……お前ら、ここが殺し合いの会場だっての忘れてないか?」 『殺し合い』という単語にビクリと震えるまん丸と、少々顔を渋らせるホロ。 忘れていたわけではなかったようだが……深く考えたくない、という気持ちは分からんでもない。 「二人とも殺し合いに乗る気はないんだろ? だったら、これから先どう行動するか考えとかねーと」 三匹の間に、沈黙が下りる。 その沈黙を破ったのは意外にも、小さくもはっきりとした声で言った、まん丸だった。 「ボク……タヌ太郎さんとツネ次郎さんを探したいな」 「ふむ、わっちは知り合いもおらんしな……」 まん丸の言葉に続けるように、ホロが呟く。 「よければ、わっちはぬしらについて行きたいが……駄目かや?」 「断る理由もないしな。むしろ歓迎だ」 二匹の言葉に満足したように、頷くメレオロン。 「俺も仲間を探したい……だが考え無しに動き回って探すのは、体力と時間の無駄だ。 そこで提案だが、駅に行こうと思う」 「「駅?」」 まん丸とホロが同時に呟き、首を傾げる。 「駅とはなんじゃ?」 「知らないのか? 駅っつーのは、電車っていう移動手段が来る場所なんだが……」 「電車?」 「それも何て説明したらいいのか……下手に説明するより、見た方が早いか」 「ホロさんホロさん」 駅と電車の説明に四苦八苦するメレオロンをよそに、まん丸がホロの手を引っ張る。 「ん? どうしたまん丸?」 「あのね、電車っていうのはこういうのだよ」 まん丸の手には、デイパックの中のメモ帳で折られた紙の電車が鎮座していた。 ふむ。とホロは興味深そうに覗き込み、ほう。とメレオロンは関心したような声を上げる。 「器用なもんだなー、そんな手……というか羽で」 「えへへー」 しげしげと紙の電車を見るホロとメレオロンの褒め言葉に対し、赤くなって照れるまん丸。 ……まだまだ子供だな、という思いが二匹の頭をよぎる。 「つまり電車、というのは箱のような乗り物なわけなのじゃな……で、どうして駅に行くのじゃ?」 「電車を使えば、短距離で広範囲の移動ができるだろ? それに、俺とまん丸の仲間は電車についての知識がある。同じような事を考えて駅に来るかもしれない」 「ふむ……だが、殺し合いに積極的な動物がいる可能性も無いわけではあるまい?」 「確かにそうだが、どんなやり方でもリスクがゼロってわけにはいかねぇ。 駅や電車についての知識があるような奴なら理性のあるやつも多いだろうし、説得が可能な場合もあるかもしれない」 メレオロンの考えには、穴が無いわけでもない。理性があるからこそ、狡賢い策を考える者がいるかもしれない。 しかしホロは少し考えると、大きく頷く。 「いいじゃろ、こんな場所じゃ。どこにいたって明確な安全はありゃんせん……ぬしの策で行こう」 「決まりだな」 「駅か……ボク、行ったことないからワクワクするなぁ」 最初にサッカー場に来た時のように、好奇心に満ちたオーラを漂わせるまん丸。 その姿を見てメレオロンは溜息をつき、ホロは楽しそうな笑みを浮かべる。 「……ガキんちょめ」 「何、子供もいいものじゃ……それに」 ホロの笑みが、意地悪そうな物に変わる。 「わっちから見れば、ぬしもまだまだガキんちょじゃよ」 【E-4/サッカー場/一日目/黎明】 【メレオロン@HUNTER×HUNTER】 【状態】健康 【装備】:ヴァルセーレの剣@金色のガッシュ 【道具】:支給品一式、チョコビ(残り4箱)@クレヨンしんちゃん 【思考】 基本:殺し合いからの脱出、元の世界への帰還 0:E-4もしくはF-4の駅に向かう。 電車を利用し仲間の捜索。 1:イカルゴとの合流。 2:誰かに襲われた場合は、容赦なく対処 ※原作25巻、宮殿突入直前からの参戦です。 ※まん丸、ホロと情報交換しました。 【まん丸@忍ペンまん丸】 【状態】健康 【装備】:なし 【道具】:支給品一式、不明支給品×1~3(本人、メレオロン、ホロ確認済)、チョコビの空き箱 【思考】 基本:念雅山に帰りたい、殺し合いには乗らない 0:E-4もしくはF-4の駅に向かう。電車を利用し仲間の捜索。 1:タヌ太郎、ツネ次郎に会いたい。 ※原作終了後からの参戦です。 ※メレオロン、ホロと情報交換しました。 【ホロ@狼と香辛料】 【状態】健康 【装備】:魔甲拳@ダイの大冒険 【所持品】:支給品一式、折り紙×10枚@忍ペンまん丸、ヨーヨー@HUNTER×HUNTER 【思考】 基本:ゲームに乗る気はない。ただし、向かってくる者には容赦しない 0:E-4もしくはF-4の駅に向かう。電車を利用し仲間の捜索。 1:麦、もしくは参加者を探すかや。 2:どうにかして血を手にいれたいの……この二人に頼むかや? 3:わっちの麦はどこにあるのじゃ? 【備考】:参加時期は6話「狼と無言の別れ」の後です。 ※メレオロン、まん丸と情報交換しました。 ※生き血を飲んで変身できる事は話していません。 時系列順で読む Back 狡兎三窟 Next 現場は木造平屋建て 投下順で読む Back 狡兎三窟 Next 現場は木造平屋建て 003 面影 まん丸 050:神の不在証明 003 面影 メレオロン 050:神の不在証明 020 狼の新たな旅立ち ホロ 050:神の不在証明
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/34214.html
登録日:2016/04/21 (木) 19 27 32 更新日:2024/09/13 Fri 12 04 31NEW! 所要時間:約 17 分で読めます ▽タグ一覧 オリンピック サッカー サッカーチーム サッカー代表チーム サッカー日本代表 チーム 代表 日本代表 U-23サッカー日本代表とは、日本サッカー協会 (JFA) によって編成される日本のサッカーの23歳未満のナショナルチーム。 23歳未満の選手を対象とするオリンピックに出場するためのチームである。またの名を五輪代表、U-23代表などという。 ●目次 ■年齢制限の理由 92年 バルセロナオリンピック世代 96年 アトランタオリンピック世代 00年 シドニーオリンピック世代 04年 アテネオリンピック世代 08年 北京オリンピック世代 12年 ロンドンオリンピック世代 16年 リオデジャネイロオリンピック世代 21年 東京オリンピック世代 24年 パリオリンピック世代 ■年齢制限の理由 オリンピックのサッカー競技を見ていて、一度は皆疑問に思うことだろう。 「なんでサッカーだけは、23歳以下の選手が出場しているの?」 これについて説明すると、もともとオリンピックにはアマチュアの選手しか出場できない「アマチュア憲章」というルールがあり、プロの選手は出場できなかった。 そのため、従来の五輪のサッカーは日本をはじめプロのサッカーリーグがない国や、北欧の「ステート・アマ」と呼ばれるプロでも実質的にはアマチュアの契約をしている選手により構成される国家を中心とした大会であり、 逆に早くからプロ化を進めた欧州や南米などの強豪国はオリンピックに関心を示さなくなり、プロの世界一を決める大会として別途で「FIFAワールドカップ」が創設された。 しかし、70年代から五輪の商業主義化が進み、74年にオリンピック憲章から「アマチュア」という言葉がついに削除され、1984年のロスアンゼルス五輪からはプロ選手も参加できるようになった。 だがこれにより、サッカーの世界一を決める大会をワールドカップのみとしたいFIFAと、オリンピックのサッカー競技も世界一を決める大会として位置付けたいIOCの間で対立が生まれた。 結果、妥協案としてFIFAが「ワールドカップに出場していない選手なら出してもいい」という基準を設けたことをきっかけに、有力国が若手中心のメンバーで挑み、ユースとプロの間である若手部門の大会として成功を収めた。 そして92年バルセロナ五輪から「23歳以下の世界大会」という明確なルールとして決まり、96年アトランタ五輪からはFIFAがさらに折れ、3人まで23歳以上の選手を入れてもいい「オーバーエイジ」というルールを導入した。 というわけで、オリンピックのサッカーはほかのオリンピック競技とは一風変わった、既に存在していたU-17W杯、U-20W杯(ワールドユース)に続くワールドカップへの登竜門たる大会となったのである。 かれこれ、強豪国ではそもそもこの手の世代別代表は「世代のベストメンバー」ではなく「一足早くA代表に上がれていない者たちの集い」のような位置付けであるのもあって、二軍感のあるメンバーで臨むことも多い。 というか、強豪国の若手スターとなるとすでにプロとしてかなり高い地位を築いているのが基本なので、選手を保有するクラブ側が、大事な選手を世代別大会ごときに貸し出すのを嫌がるのである。 このあたりは国とクラブ、各協会の間で様々な対立が起こってきたが、結局のところ基本的に招集に応じる義務は課せられない感じに落ち着いている。 逆に弱い国であるほどベストメンバーを集めやすく、国家感の力の差は低減され、たとえ軽んじられているとしても世界的なタイトルを奪取する機会となっており、ワールドカップ本大会では上位進出が滅多にないアフリカ、アジア、北中米の代表チームがベスト4以上に進出、メダルを獲得することも多い。 近年こそサッカー王国と誉れ高いブラジルが2連覇を果たし力を見せているが、皮肉なことにブラジルは肝心のワールドカップにおいては02年日韓大会を最後に20年以上優勝できていない。3連覇がかかっていた24年パリ五輪に至ってはなんと予選で敗退してしまっており、将来に不安を抱える結果となっている。 また、ワールドカップと違いあくまでもオリンピックの競技の一つであるために、大会中に全ての試合を消化しなければならないことから、出場国は16ヵ国となっている(最新のワールドカップは32ヵ国)。それでも大会中に全試合を消化しきれず、開会式前から試合が組まれている。 それに伴って出場枠も最多のヨーロッパでさえ4~5枠という大変狭き門であるため、地域の強豪国でも安定した出場は困難。特にヨーロッパに顕著で、強豪国ですら漏れる少ない枠に中堅国が入り込んでくることも多い。 選手の選出可能人数もベンチをギリギリ埋められる程度の18人と、プロサッカーの基準からすると非常に少ない。 パリ五輪では当初は大会前に負傷者が出た場合のみ入れ替えが可能となっていた4人のバックアップメンバーを、正当な理由(*1)さえあれば各試合の6時間前まで入れ替え可能とし、実質的に22人制と大差なくなる緩和措置が取られた。 ここでは、そんな五輪サッカーに挑んだ歴代日本代表の軌跡を振り返る。 92年 バルセロナオリンピック世代 監督:山本芳忠(最終予選のみ、総監督をA代表の横山謙三が兼任した) 通称:なし。あえていうなら「始まりの世代」か。 大会成績:予選敗退 主な出身選手:名波浩、相馬直樹、名良橋晃、小村徳男など 活躍 93年のJリーグ開幕まで、長らく日本にはプロのサッカーリーグが存在しなかった。 そのため、プロ選手によるワールドカップなど夢のまた夢で、日本の現実的な目標は五輪の出場、そして上位進出であった。 五輪でのプロ選手参加が解禁される70年代以前は、スウェーデン、アルゼンチンといった強豪国を破るという快挙を成し遂げており、68年のメキシコ五輪では開催国メキシコを下し、銅メダルを獲得している。 しかし、今大会から五輪が23歳以下の大会になったことを機に、日本でも本格的にプロ化の波が進み、ワールドカップの出場を現実的な目標として考えられるように…否、考えなければならなくなった。 だが、この当時はJリーグ開幕直前で、当時の最高峰であった日本サッカーリーグ(JSL)でも若くして活躍している選手はわずかで、大学生が主体のメンバー構成となった。 年齢無制限のフル代表をもってしてもW杯出場どころか、五輪の予選を68年のメキシコ五輪を最後に突破できていなかった日本への視線は懐疑的なもの。 1次予選こそ突破したが、五輪出場をかけた最終予選では、当時の新興国であったバーレーンを除けば勝利すら厳しい状況とされており、一部の心無い外国人記者からは、「日本は1勝4分け狙いで五輪出場を目指すのではないか」などと嘲笑された。 その前評判を払拭したい日本だったが、力の差は歴然で、1勝3敗1分で6チーム中5位に終わり、6大会連続の五輪予選敗退が決定した。 ただし、この世代の中には上にあげた名波、相馬、名良橋、小村など後のフランスW杯初出場に貢献したメンバーも多くおり、この世代の頑張りなくして今のサッカー日本代表の歴史はなかったかもしれない。 また、あくまでも当時の日本サッカーのレベルの低さゆえにこの結果になったのであり、大学生によるオリンピックに相当するユニバーシアードのサッカー競技で日本は最多優勝、最多メダル獲得国であった。 徳永悠平(アテネ)、平山相太(北京)、山村和也(ロンドン)、室屋成(リオ)と大学生ながらプロ選手を押しのけて代表に選出される選手も多数おり、大学サッカーにおいては日本のレベルは世界でもかなり高い。 96年 アトランタオリンピック世代 監督:西野朗 通称:なし。あえていうなら「希望の世代」か。 大会成績:グループリーグ敗退(2勝1敗) 主な出身選手:前園真聖、中田英寿、川口能活、城彰二、松田直樹など オーバーエイジ:使用せず 活躍 日本サッカーの歴史を作った世代といっても過言ではない。 93年W杯のドーハの悲劇で日本中が悲しみに包まれる中、次なるフランスW杯に望みを繋ぐため、初めて全員がプロ選手で構成される五輪代表には銅メダルを獲得したメキシコ大会以来の五輪出場の大きな期待がかかった。 本大会はマレーシアで行われた最終予選では8チームが2グループに分かれ、各グループリーグの上位2チームが準決勝に進出し、全4チームのうち3チームが五輪への出場権を与えられるもの。 見事にその期待にこたえる形で日本はグループリーグを1位で通過し、準決勝で当時最終予選進出国最強と言われたサウジアラビアを2-1で下し、ついにメキシコ五輪以来、28年ぶりに五輪への壁をこじ開けた。 しかし、迎えた本大会の初戦の相手はなんと94年W杯覇者、世界最強と言われたブラジル代表。メンバーには若かりし日のジーダ、ロベルト・カルロス、ロナウドなどが名を連ね、それに加え初の五輪制覇に向けA代表の主力のベベット、リバウドらもオーバーエイジで招集されていた。 さらにチームとしてもブラジルA代表や世界選抜を倒すという驚異的な強さで、惨敗だという前評判が圧倒的だった。 しかし日本はこのブラジルを相手にまさかの、1-0で勝利する大金星を挙げる。 これは世紀に残るジャイアントキリング、マイアミの奇跡として語り継がれている。 その後日本は第二戦、後にそのブラジルを上回り金メダルを獲得するナイジェリアに2-0で敗戦。 続くハンガリー戦ではロスタイムで2得点の大逆転で3-2で勝利したが、2勝1敗で3チームが並んだ結果、得失点差で無念の予選リーグ敗退となった。 なお、2勝したチームが準々決勝(五輪は決勝T1回戦が準々決勝)に進めなかったのは、五輪サッカーの歴史上、日本が唯一である。 しかしこの世代が中心となり、日本は2年後悲願のワールドカップ初出場を果たす。 00年 シドニーオリンピック世代 監督:フィリップ・トルシエ 通称:黄金世代 大会成績:ベスト8 主な出身選手:中田英寿、稲本潤一、柳沢敦、中村俊輔など オーバーエイジ:楢崎正剛、森岡隆三、三浦淳宏 活躍 歴代最強との呼び声もある五輪代表。 97年ワールドユースでベスト8、99年ワールドユース選手権で準優勝を果たすなど、この世代の日本はめまぐるしい成長を遂げており、最終予選まで全く危なげなく予選を突破した。 メンバーとしても、アトランタから連続出場の中田英をはじめ、中村、稲本、柳沢ら既にA代表でも主力となっている選手が名を連ねた。 次のワールドカップが自国開催のため予選が免除となっており、指揮も当時のトルシエ監督がA代表と兼任するなどほぼフル代表とそん色ないチームであった。 本大会も南アフリカ、スロバキアに連勝、ブラジルには0-1で敗れ、アトランタの借りを返されたが今度は見事に予選リーグを突破、準々決勝のアメリカ戦でも日本ペースで試合を進めるが、2-1でリードしたロスタイム、PKにより失点。 延長戦でも決着がつかずPK戦までもつれこんだすえに、中田英がまさかのPK失敗。惜しくも68年以来のベスト4はならなかった。 04年 アテネオリンピック世代 監督:山本昌邦 通称:谷間の世代(第一次) 大会成績:グループリーグ敗退(1勝2敗) 主な出身選手:大久保嘉人、松井大輔、阿部勇樹、田中マルクス闘莉王など オーバーエイジ:小野伸二、曽ヶ端準 活躍 期待された01年ワールドユースが予選リーグ敗退に終わったことや、早い段階でフル代表に名を連ねる選手がいなかったことから、黄金世代と比較され、谷間の世代と称された世代。 しかしながら、「アテネ経由ドイツ行き」を宣言した山本監督の思惑通り、日本とUAEでのダブルセントラル方式の、体調不良や負傷に苦しめられる厳しい展開の中、3大会連続出場を果たし、活躍から大久保、松井らがA代表に名を連ねた。 もっとも、ドイツ大会はまだシドニー世代やアトランタ世代のメンバーが中心で、選出は駒野と茂庭のみであり、彼らの活躍は10年の南アフリカ大会まで持ち越しとなったが。 迎えた本大会では、1勝2敗とグループリーグ敗退に終わったが、敗れた相手はパラグアイ、イタリアと銀、銅メダルを獲得したチームで、組み合わせに恵まれぬ死の組だったというものが大きい。 08年 北京オリンピック世代 監督:反町康治 通称:谷底世代、新・黄金世代 大会成績:グループリーグ敗退(0勝3敗) 主な出身選手:本田圭佑、長友佑都、岡崎慎司、内田篤人など オーバーエイジ:使用なし(遠藤保仁、大久保喜人らが候補には上がっていたが、体調不良やクラブ事情により実現しなかった) 活躍 06年、黄金世代がW杯本戦の死の組に全く歯が立たず、その前の04年アテネ世代も残念な結果に終わっていたことから日本サッカー自体が低迷の時期とみなされ、その中で戦った彼らは最も歴代で恵まれなかった代表だった。 アジア大会で予選リーグ敗退、最終予選も苦戦の末の突破、オーバーエイジ選手の相次ぐ辞退などネガティブなニュースが続出し、「谷間の世代」よりも酷い「谷底世代」と屈辱的な呼称をつけられた。 本大会も、アメリカ、ナイジェリア、オランダという手堅いチームを前に3連敗、わずか1得点と歴代最低の成績に終わったうえ、本田が反町監督の指示を無視したと思われる発言がメディアに取り上げられ炎上するなど、大会自体のアウェイ感もあり非常に後味悪い結果に終わってしまった…。 しかし、彼らは本大会後、この悔しさをバネとしてアテネ世代とともにフル代表に名を連ね、南アフリカ大会で国外大会初のグループリーグ突破に貢献。 そして個人では長友がインテル、本田がACミラン、香川がマンUと黄金世代でもなせなかった欧州ビッグクラブでのスタメンを獲得。いつしか彼らは「新・黄金世代」と呼ばれるようになった。 チームとしての完成度ならシドニー、戦果ならロンドンだが、本大会の後に最も成長したのは彼らであろう。 12年 ロンドンオリンピック世代 監督:関塚隆 通称:プラチナ世代 大会成績:ベスト4 主な出身選手:清武弘嗣、酒井高徳、酒井宏樹、山口蛍など オーバーエイジ:吉田麻也、徳永悠平、林彰洋(バックアップ) 活躍 小学生の世界大会で世界一を獲得したことや、早い段階でプロデビューしたものが多かったことから「原石」の世代、プラチナ世代と呼ばれた世代。 しかし、本大会前の予選で最終戦まで苦戦したことなど、直前のトゥーロン国際大会までふがいない結果が続いてきたことから期待度は高くなかった。 しかし迎えた本大会、当時世界ランキング1位で世界的なタレントが名を連ねるスペインを大津のゴールによる1-0でいきなり撃破。 そしてモロッコにも1-0で勝利し、最終戦のホンジュラス戦は控えメンバーで0-0と余裕をもって引き分け、2勝1分けと初めて予選リーグを無敗で突破。 準々決勝でもエジプトに3-0で完勝し、ついにシドニー世代もなせなかったベスト4進出を果たした。 惜しくも大会中の永井、大津らの負傷もあり準決勝、3位決定戦でメキシコ、韓国に連敗しメダル獲得はならなかったが、歴代で最もメダルに近付いた世代であった。 16年 リオデジャネイロオリンピック世代 監督:手倉森浩 通称:最弱世代、谷間の世代(第二次) 大会成績:グループリーグ敗退(1勝1分1敗) 主な出身選手:久保裕也、南野拓実、遠藤航、浅野拓磨など オーバーエイジ:興梠慎三、藤春廣輝、塩谷司 活躍 この間に下のカテゴリーの大会で予選敗退が相次いだうえ、若い世代でトップデビューしている選手が少なく、一部では「史上最弱」とも言われた世代。 また、五輪予選がシドニーからロンドンまでのホーム アウェイのリーグ戦方式から、五輪本番と同じ16ヶ国による総当たりで、上位3ヶ国のみが本大会出場のトーナメント方式に変わったことから本大会出場への難易度が格段に上がり、今度こそは予選で敗退してしまうのではと囁かれていた。 しかし、久保や南野らヨーロッパ組の活躍、また手倉森監督によるスタメンを固定しないターンオーバー制で、史上初めて全勝でアジア王者として本大会出場を果たした(アトランタ世代は決勝で韓国に敗退)。 しかし、怪我人続出のため本大会ギリギリまでベストメンバーが揃わない、オーバーエイジ選手の選考の難航、またあげくエースとして期待された久保裕也が大会直前にクラブ事情で出場できなくなるなど、本大会までは様々な逆風が吹き荒れる結果となってしまった。 迎えた本大会は、ナイジェリアに壮絶なる打ち合いの末4-5で惜敗、続くコロンビア戦でも一点を先行された後OAの藤春がまさかのオウンゴールを犯すが、そこから意地を見せて2点差を追いつき2-2の引き分けに持ち込み、かろうじて最終戦にグループリーグ突破の可能性を残す。 最終戦のスウェーデン戦は矢島のゴールを守りきり1-0と初勝利したが、コロンビアがナイジェリアに勝利したため無念のグループリーグ敗退となった。 しかしながら、様々な逆風の中で強豪国を相手に奮闘し、歴代最多となる7ゴールを挙げるなど日本サッカーの確かな成長ぶりを見せた。 結果から見れば谷間の世代という立場は払拭できなかったが、遠藤、南野、浅野、それにU23代表には殆ど絡んでいない伊東純也などが後にA代表に定着。 南野と遠藤は世界最高峰の一角たるリヴァプールへの移籍を果たし、伊東は地味めのキャリアながら非常に競争の激しいウイングで定位置確保するほどに、浅野はアーセナル移籍→レンタルたらい回しで放出という残念なオチから、後に対ドイツとブンデス&ラ・リーガで記憶に残る「持ってる男」へと、谷間・最弱という評価も過去のものになったと言える。 21年 東京オリンピック世代 監督:森保一 通称:00(ミレニアム)世代 大会成績:4位 主な出身選手:冨安健洋、堂安律、田中碧、板倉滉など オーバーエイジ:吉田麻也、酒井宏樹、遠藤航 56年ぶりに地元東京での開催が決まり、飛躍が期待された世代。コロナ禍で大会が一年後ろ倒しになったうえ試合が組みづらい不運もあったが、A代表の森保一監督が兼任し、既にA代表でもレギュラー格である冨安や田中、久保建英といった面々が揃い、そして一切の妥協なくA代表の主力である三人をオーバーエイジに加え、悲願のメダル獲得へ盤石のメンバー選考が行われた。 前回とは対照的にこのチームのスタメンがそのままA代表のスタメンとして出てきてもさほど違和感がないほどの布陣と化しており、 田中と遠藤、これに守田英正を加えての守備能力に全振りした3セントラルはこのあとアジア最終予選で無双する切り札となるフォーメーション。 OAで補強できずやや格落ちする左SBやCF、GKについてはそもそもA代表でも人材難気味であり、どちらにせよ将来A代表の候補にはなるレベルの若手が並んでいる。 なお、欧州リーグでの日本人選手の躍進が進んだことで必然的に、例えば久保や冨安、OAの遠藤あたりになるともはやクラブ側に招集拒否されても仕方ない立場の選手になっており、自国開催という要素が重なったおかげでベストメンバーで臨めたという見方は強い。 予選リーグの初戦、苦しみながらも南アフリカを1-0で退け、続くメキシコにも2-1で快勝。そして最終戦はフランスを4-0で撃破と圧倒的な強さで決勝トーナメント進出。 そして準々決勝ニュージーランド戦は0-0のままPK戦に突入したが、GK谷が好セーブを見せ、メダル獲得に王手を掛けた。 準決勝のスペイン戦でも延長戦まで0-0にもつれ込む激闘をみせたが、最後の最後で失点し0-1で惜敗し3位決定戦へ。 予選リーグで勝ったメキシコが相手だったが、スペインとの試合で気力を使い果たしてしまったか、立ち上がりから低調な内容で立て続けに失点。終盤に今大会ではまだジョーカー程度の扱いだった三笘が意地のゴールを挙げたが1-3と完敗。おりしもかつてのメキシコオリンピックとは真逆の状況でリベンジを果たされる結果となり、またしてもオリンピックのメダル獲得は後一歩で露と消えた。 ちなみにスペイン代表だが、実は冒頭の説明が通用しない国で、アンダー世代だろうが、法律で代表招集を原則拒否不可能としているため、今回はA代表クラスの選手がずらりと並んでおり、ある種のA代表代理決戦のような趣を持つ様相であった。 しかし、メダルの夢を阻まれたスペインには翌年、予想外の形でリベンジを果たすことになる。 24年 パリオリンピック世代 監督:大岩剛 通称:00(ミレニアム)世代(第二次) 大会成績:ベスト8 主な出身選手:藤田譲瑠チマ、松木玖生、細谷真大、山田楓喜など オーバーエイジ:使用せず 世代交代から間があまり空いていないため上の世代の選手がガッツリ幅を利かせているせいもあるが、またまた一転して、この世代には五輪までにA代表の実績がある選手は殆どいない。 直近のアジアカップで1stGKを任されるも批判を浴びた鈴木彩艶(*2)、何度か呼ばれているが主力には程遠い細谷真大、そして東京五輪には飛び級で選出されていた久保建英である。 ただし、上の世代が海外市場を開拓していったことで欧州でプレーする選手の裾野も広がり、久保を除けば欧州5大リーグ級の選手こそ居ないものの、欧州で一定の実績を積んだ選手自体は少なくない。 主軸となっている22~23歳の世代が本来晴れ舞台となるはずのU-20ワールドカップをコロナ禍による開催中止で経験できなかった国際経験の不足を埋めるため、他国との親善試合、練習試合が多く組まれた。 しかしリオ世代の頃からの宿命である「欧州クラブで早い段階から主力になっているため拘束権のない世代別代表への招集が難しくなる」という問題がより表面化し、五輪出場をかけたU-23アジアカップも複数人の主力招集に失敗。本大会出場を不安視する声も少なくなかった。 なお久保に関しては、本人は出場に前向きだったものの、今やクラブとの交渉が困難なのは明白なうえにシーズン終盤にかけて疲労の蓄積が目立っていたのもあり、招集しない意向が早々に発表。 ここまではともかく、さらに世代の顔だった松木が移籍関連と推測される形で招集外となってしまう(*3)。 またオーバーエイジに関しては遠藤航や町田浩樹らA代表クラスの名前が挙がっていたものの折り合いがつかず、結局08年北京以来のオーバーエイジなしで臨むことになった。 だが韓国をはじめオーストラリア、イラン、サウジアラビアといった強豪国が五輪予選となるアジアカップ本戦で敗退する番狂わせが相次ぐ中、下馬評を覆してリオ世代に続くアジア王者となり、8大会連続の五輪に臨む。 U-23アジアカップ2024 アジアカップ初戦は中国に開始早々の松木玖生のゴールを守り切って1-0で勝利したが、守備の要であるDF西尾がラフプレーで一発退場となり、出場停止で準決勝まで守備の要を失う厳しいスタートとなったが、2戦目はUAEに地力の差を見せて2-0で快勝。最終節を待たず準々決勝進出を決めることに成功する。 しかし過密日程を考慮して大幅にターンオーバーして臨んだ韓国戦は相手の倍以上のシュートを打つも決定力不足に嘆き、逆にセットプレーからの失点を守り切られて0-1と惜敗し2位で通過。 結果、準々決勝でアジアカップの開催国かつ、フル代表のアジアカップを2連覇中で当時のアジア最強国との呼び声も高かったカタールとの対戦を余儀なくされる。 五輪出場枠は「3.5」でアジアカップ準決勝進出が必須(*4)であるため、五輪出場に暗雲が立ち込めた。 迎えたカタール戦は開始早々に山田楓喜が鮮やかなミドルを決めて先制するも、右サイドを崩されて強烈なヘディングを決められ同点。前半終了間際にカタールGKがラフプレーで一発退場し数的有利となるが、後半セットプレーから失点し数的有利ながらまさかの逆転を許す。 しかしCKから木村誠二がヘディングを決めて追いつくと、延長戦でこの世代のエースストライカーとされながらクラブ・代表共に今季ノーゴールと苦しんでいた細谷真大が復活のゴールを上げ、後半にも内野のゴールで1点を追加し、なんとか準決勝に進出。 そして五輪をかけたイラクとの準決勝では細谷と荒木僚太郎のゴールで2-0で快勝。続く決勝は前回のU-23アジアカップ決勝で敗れたウズベキスタンを相手に拮抗した試合となるも、ATに山田楓喜のミドルで先制。その後PKを与えてしまうも守護神・小久保がストップし1-0で勝利。 迎えた初戦の相手はブラジルとアルゼンチンを抑えて南米予選を一位で通過したパラグアイ。苦しい戦いが予想されたが前半に相手が退場し数的優位に立ってからは形勢逆転。ゴールラッシュで5-0と圧勝し最高のスタートを切った。 続くマリ戦は相手のハイプレスと身体能力の高さに苦しむも細谷のクロスから山本理仁が押し込み1-0で連勝して上位を確定、最終戦イスラエルはターンオーバーしながらATの細谷のゴールで1-0で勝ちきり無失点全勝。 そして初の二大会連続かつ、オーバーエイジなしのチームでは初めての準々決勝進出を果たした。 しかし準々決勝の相手は東京五輪でも対戦したスペイン。 日本同様2連勝で悠々と五輪予選突破を確定させたものの3戦目を落としたため2位通過となり、日本からしてみれば不本意なタイミングで激突してしまうこととなった。 今回は、直前のEURO優勝メンバーではあるが出場機会はほぼ無かったフェルミン・ロペスや、2024年に入って17歳でデビューしいきなりバルサDFラインの救世主となったパウ・クバルシが筆頭戦力でOA枠もA代表歴はほぼなく年の近い若手から選ぶなど、本気モードだった前回に比べればアンダー代表感のあるメンバーとなっていた。 しかし前半11分と早々にフェルミンのミドルシュートで先制ゴールを許してしまい、 前半のうちに最前線で相手を背負ってボールを受けた細谷が反転して見事なゴールを決めるも、「背負っている」ので当然ながら体は自陣側にあるのだが、片足だけ敵陣側にはみ出していたという非常に珍しい形のオフサイドで取り消しに。 22W杯後のスペイン戦ということで細谷の1ミリなんて言われたりもしたが、実際のところは全然目視できる程度には出ていた。 以降も決定機は作るも、足が止まり始めたところで再びフェルミンのミドルが突き刺さり、コーナーキックで3点目も奪われ完敗。 ここまでチームを救い続けた「国防」こと小久保のセーブも今回は冴えず(*5)、またしてもスペインにメダルの夢を阻まれることに。 次回の2028オリンピックはアメリカ・ロサンゼルスでの開催予定。 奇しくも26W杯より続く北米開催であり、かつての「マイアミの奇跡」の舞台でもある。 次こそは悲願のメダル獲得へ、若きサムライブルー戦士たちの挑戦は終わらない。 追記、修正お願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] シドニー五輪といえば高原がゴール決めた時の船越雅史アナウンサーの絶叫と楢崎が頭蓋骨骨折しながらもゴール守ったシーンはよく覚えている -- 名無しさん (2016-04-22 09 14 32) シドニー五輪はオーバーエージの選考もバランス取れてたし見ていて面白かった アテネは最終予選時は熱かった(本大会はガックリだったけど) -- 名無しさん (2016-05-24 17 31 06) 東京五輪のOA枠は見事にハマってた リオ五輪のOA枠に代表経験少ない興梠、塩谷、藤春選んだのは何故よ? -- 名無しさん (2022-06-07 17 16 54) 森岡はフラット3の中心選手としてトルシエからの信頼は厚く、シドニーオリンピックでは宮本や松田など、23歳以下で優秀な選手が居るにも関わらず、彼らをベンチに置いてまで貴重なオーバーエイジ枠で召集され、3バックの中央を任されたことからも重用していたのがわかる -- 名無しさん (2022-06-08 10 43 04) 名前 コメント